播磨国風土記に日女道丘(ひめじ丘)という記載があるということは、西暦700年ごろまでには「ひめじ」という呼称があったということになります。「ひめ」は蚕子と考えて、繭が通ってくる流通経路だったと考えるべきか、それとも風土記の記載から、朝鮮から渡ってきた人々の中から蚕子を育てる人々、グループが住みついた場所と考えるべきか、それとも繭の保管倉庫でもあったのかな?
歴史だけで考えるのであれば、飾磨のほうが先に集落があったようであり、姫路はただの丘(姫山)の名前だから、夢前町を吸収した今、飾磨市にしちゃうほうが利にかなっているのかもしれない。まあ大看板『世界遺産:姫路城』があるわけですから飾磨人、英賀人は我慢すべき。というより利用すべきでしょう。
他から移住してきた人には分からないかもしれないけれど、姫路には姫路人だけではなく、網干人、大塩人、白浜人などいろんな人が住んでいます。識別の方法は簡単で、姫路駅周辺のことを『駅前』と呼ぶ人が姫路人、『姫路』と呼ぶ人は姫路市民ではありながら、○○人としてのプライドを所有しています。これは血筋などの問題でなく育ちです。一定期間その土地に暮らせば、よその人であっても姫路市民でありながら姫路駅の北側あたりの繁華街に行くときに、「姫路いてくらぁ」というようになる。本当に不思議な現象だけれども、全国的にはおでんにしょうが醤油をつけないことくらい不思議です。
時々、姫路には姫路城しかない・・という声を聞きますが、姫路城周辺のことを「姫路」と呼ぶのですから、姫路に姫路城しかなくて当たり前なのであります。まぁこれは屁理屈ですが、姫路には姫路城だけでなく、白鳥城なるものまでありますよwww
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